Ecosystem of Proteins
前略
先日,CRISPR/Casについて書きましたが,今回,また"CRISPR studies muddy results of older gene research"(1)というNatureの記事を見つけました。
MELK(Maternal Embryonic Leucine zipper Kinase)は乳ガンだけでなく多くのガン細胞で強く発現しており,RNAiによるMELKノックダウンやMELK阻害剤で確かにガン細胞の増殖が抑えらたことから,MELKはガン増殖に必要な遺伝子であると考えられ,MELK阻害剤として開発されたOTS167のガン治療薬としての治験が始まっていました。
ところが,MELKをCRISP/Cas9でノックアウトしてもガン細胞の増殖に影響がでなかった,とコールド・スプリング・ハーバー研究所のSheltzerらが発表(2)したことから,上記のようなタイトルの記事となったわけですね。
Scheltzerらの結果からは,MELKはガンの増殖には必須ではなく,それでもOTS167はガン増殖を抑えるので,この薬はいわばオフ・ターゲット,ということになります。
もともとRNAiはmRNAに関わるものですから,細胞の状態,とりわけ細胞周期に大きく影響を受けます。Scheltzerらのarticle(2)を読むと,MELKもG0やG1では発現レベルが低く,M期に発現がピークになることから,G1で停止させるような処理はMELK発現を低下させ,結果としてノックダウンの評価に混乱が生じる可能性があると書いてあります。
このような,従前の遺伝子研究で得られた知見とCRISPR/Cas9で得られた結果との間の何らかの不一致は,他にも報告されているようですね。そこで思うのは,細胞内のタンパク質集団の動態を把握しているのか,という疑問なんです。
ある地域の生態系を構成する生物の集団について,その関係を研究する学問領域があるのと同様に,細胞という空間における個々のタンパク質の局所的密度や一見無関係に思われる高分子間の相互作用といったものを考える必要があるのではないか,ということです。さまざまな代謝系も単一経路とは限りませんし,シグナリング経路もしかり。1つの遺伝子をノックダウン,ノックアウトさせたとしても,細胞は臨機応変に別経路を働かせるかもしれません。一連の経路のどこがどのようにフィードバックに関わっているかもしれません。
さまざまな代謝系も単一経路とは限りませんし,シグナリング経路も同様です。1つの遺伝子をノックダウンさせたとしても,細胞は臨機応変に別経路を働かせるかもしれません。一連の経路のどこがどのようにフィードバックに関わっているかもしれません。
学生時代,岩波書店の「生物学辞典」に付録として付いていた代謝マップ(今でもあるのでしょうか)を見て,その広大さに感激した記憶がありますが,あのマップがすべて細胞内で同時に進行しているわけではないとしても,多くのタンパク質など高分子が相互作用をしている環境を想像すると,いや,それがなかなか想像できないのです(歳のせいか,生来の想像力不足かわかりませんが)。
代謝経路やシグナリング経路を説明する図は昔に比べデザイン的にはるかにきれいに作られ,コンピュータによるシミュレーション動画も「ミクロの決死圏」どころか「ナノの決死圏」みたいに表現され,見る者を驚嘆させます。それを見ただけで非常に理解が深まったと思わせるに十分な迫力と説得力があります(実際に理解が深まるかどうかは別)。でも,そういった動画には,テーマと無関係の構造や分子類は省略されています。実際の細胞内は大都会の雑踏のように,さまざまなタンパク質がプラットホーム上を首を回しながらウロウロ動き回ったり,壁の向こうとこちらに顔を出したり引っ込めたり,あるいはモータータンパク質に手を引かれ高速エスカレーターを上ったり下りたり,自らあちこち走り回っていたりと,多くが高速で動き回っているわけです。酵素と基質が結合しようとしたその瞬間,他のタンパク質が「背中」にぶつかり反応がキャンセルになることもあるでしょう。先に書いたように細胞内はタンパク質であふれているのです。
こういった関係は,もはや微分方程式では表現できません。スーパーコンピュータの力を借りて,個々の分子の動態を追いかけるしか再現の方法はないと思います。
一連の遺伝子発現調節も同じ。1つの遺伝子の上流・下流は1つの経路だけとは限りませんし,1つの遺伝子のノックアウトが他の予想もしていない遺伝子に影響を与えている可能性もあるでしょう。
このようなことは考慮する必要がないのかどうかわかりません。私には非常に重要なことのように思えますが。あるいは研究者たちは,もとより私などが気付くはるか以前からこういった問題を念頭において研究しているのかもしれません。是非ともそうであって欲しいものです。
MELKがガンに効果があるといっても,当初考えていたのとは違う理由だった(加えて本当の理由がわかっていない)というのは,患者側にしてみれば,ちょっと待って,と言いたくなる「事件」です。効き目があるからそれでいい,とはならないでしょう。
Scheltzerらが述べているように,CRISPR/Cas9は治験前の医薬品の検証に大きな役割を果たすでしょう。しかし,CRISPR/Cas9にもオフ・ターゲットの問題はありますし,今書いてきたような懸念は残るわけです。先に書いたように,そもそも私自身,依然としてCRISPR-Cas systemやそれを応用したCRISPR/Cas9によるゲノム編集の全体像を個々の分子の動態まで含めてイメージできていません(gRNAはどうやってタンパク質で守られたクロマチンの間に潜り込んでDNAを編集するのでしょうね。どうやってgRNAはターゲットを探すのでしょうね)。
細胞は実に曲者です。あなたも目先の課題に集中する余り大局的な視点を忘れたりしないよう,気をつけて下さいね。細胞と上手に会話のできる研究者になって下さい。
草々
2017年4月22日
追伸
「ノックアウト」と「ノックダウン」は違うんですよね。遺伝子自体を書き換えて機能不全にするのが「ノックアウト」,転写や翻訳レベルで操作し結果として遺伝子発現量を変えるのが「ノックダウン」。これってボクシング用語として考えるとわかります。ノックダウンをしても10カウントのうちに立ち上がれば大丈夫,つまり終わりにならない。KO(ノックアウト)勝ち,KO負けとは言いますがノックダウン勝ちとは言いませんものね。でも,誰もがボクシングのことを知っているわけではなないので,このような「流用」が適切かどうかちょっと疑問です。
  1. Ledford H. CRISPR studies muddy results of older gene research Nature. 2017-April.(doi:10.1038/nature.2017.21763)
  2. Lin A., Giuliano C.J., Sayles N.M., and Sheltzer J.M. (2017) CRISPR/Cas9 mutagenesis invalidates a putative cancer dependency targeted in on-going clinical trials. eLife. 2017; 6:e24179.(doi:10.7554/eLife.24179)