マラリアの誘惑 - The Lure of Malaria -
前略
先日,ScienceNewsを見ていましたら,"Malaria molecule makes blood extra-alluring to mosquitoes" (Laurel Hamers, Feb.9 2017)という記事を見つけました。マラリアは,ヒトの血液に蚊の誘引物質を作らせることで,感染しているヒトの方がより蚊に刺されやすくしており,それは結果として伝染の拡大につながる,というもの。鍵となる物質は,HMBPP,です。初めてお目にかかる物質ですね。面白そうなので元のarticleを読んでみました。
それは,"A key malaria metabolite modulates vector blood seeking, feeding, and susceptibility to infection" (Emami,S.N.et al.,Science 10.1126/science.aah4563, 2017. doi:10.1126/science.aah4563. pdf file)というものです。スウェーデン・ストックホルム大学を中心にした研究者たちです。
HMBPPというのは,マラリアや真正細菌などがイソプレノイド生合成で用いる非メバロン酸経路の中間体,(E)-4-ヒドロキシ-3-メチル-2-ブテニル二リン酸((E)-4-hydroxy-3-methyl-but-2-enyl pyrophosphate, 略してHMBPP)のことだそうです。ちなみに,ヒトなどはメバロン酸経路(MEP)を使うのだそうで,HMBPPはもともとヒトには存在しない物質ということです。そのせいもあってか,自然免疫に関係する(?)Vγ9Vδ2 T細胞はこれを認識し,活性化するのだそうです。
以前から,マラリアを媒介する蚊のハマダラカなどは,健康な人よりもマラリアに感染している人に惹きつけられることは知られていたようですが,そのしくみは不明だったとのこと。今回の実験では,上述のように免疫に関係してHMBPPを調べていたところ,蚊を誘引するはたらきにつながったようです。要点をまとめると次のようになるでしょう。
蚊の誘引
・HMBPPは,ヒトなど中間宿主の赤血球に対し,二酸化炭素排出を増やし,誘引物質としてのアルデヒド,モノテルペン(α,β-ピネンやリモネン)といった揮発性物質を放出させる。
・赤血球にHMBPPを添加すると二酸化炭素放出量は増え,それは蚊の誘引を促進するに十分な量であるが,赤血球に二酸化炭素を加えただけでは,HMBPPを添加した赤血球ほどの誘引効果は見られない。
・二酸化炭素,アルデヒド,モノテルペン混合気体は,その濃度に応じて蚊を強く誘引した。
採餌行動
・HMBPP添加赤血球(hmbRBC)は蚊の採餌行動を刺激し,採餌量が増える(生理的食塩水+HMBPだけでも効果がある)。
・HMBPPの下流物質IPP(イソペンテニル二リン酸,isopentenyl pyrophosphate) はマラリア生存に必須だが,HMBPP合成阻害剤(ホスミドマイシン,fosmidomycin)処理+IPPでは採餌刺激効果は見られない。
・HMBPPで採餌量が増えるにもかかわらず,蚊の生存率や繁殖率に関しては変化は見られない。
遺伝子発現
・hmbRBC採餌の蚊では,シナプスでの伝達に関連する遺伝子の転写に影響が現れた。神経伝達への影響は,誘引・採餌行動の変化に関わっているのかもしれない。
・hmbRBC採餌の蚊の卵形成,免疫応答(抗寄生虫因子)に関係する遺伝子の転写・翻訳に抑制傾向が見られた。HMBPPは蚊の免疫対象であるため,免疫応答関連遺伝子の発現に影響が現れたのだろう。卵形成関連遺伝子が抑制傾向になるのは,正常繁殖力維持のためのバランス効果かもしれない。
以上のような結果から,彼女たちは次のようにまとめています(グループリーダーは,ストックホルム大学のFaye教授で,筆頭者は彼女のグループの女性ポスドクのようです)。
・HMBPPは感染血液からの誘引物質放出を増やす引き金となっており,感染したヒトが蚊によって刺される可能性を増やしている。
・HMBPPは直接的に蚊の採餌行動を刺激して採餌量を増やしており,これはマラリア伝染の可能性を高めることにつながっている。
・HMBPPは,宿主としての蚊の適応度に負の影響を与えることなく,感染に対して受容性を増すよう蚊の代謝生理を操作しており,過剰に摂取された栄養をマラリアの伝染拡大に利用している。
いくつか疑問に思ったことを書きます。
・蚊の誘引での二酸化炭素の効果はどれほどのものなのか。主たる誘引物質のようには見えないが。
ピネンは松の樹脂などで見られ,リモネンは柑橘類(レモンなど)に含まれる。柑橘系コロンの利用は一手に蚊を引き受ける慈善事業になるか。
・巷ではハッカ油が虫除けとして重宝されているようだが(ネット検索で多数出現),ハッカ油にはリモネンが含まれている上に,ハッカ油成分のメントールもモノテルペンである。ハッカ油はむしろ蚊を誘引してしまいそうだが,誘引・忌避,どちらなのか。濃度依存,他成分依存なのか。
・HMBPPはヒト赤血球に対し,どのようなシグナリング経路でモノテルペンを生成させているのか。
HMBPPのレセプターについては,Vγ9Vδ2 T細胞でも議論がさまざまあるようだ。それなのに,ヒト赤血球はHMBPPレセプターを持っているのか(補足資料を見ると,実験で使用した赤血球はO型のヒト血液から遠心分離で集め,AB型血清と共にRPMI培地で保存したものである)。
・HMBPPは蚊にとってもヒトにとっても,つまり両方の宿主で免疫の対象となる物質である。それを,マラリアに有利な宿主環境を作るためのシグナリングに利用するのは,戦略的に得策なのか。
・その意味で,蚊にとってはHMBPPは忌避すべき物質ではないか。
・終宿主の蚊にとってはマラリア感染は負担ではないので忌避対象とならないということであれば,中間宿主のヒトに対しての「配慮」が足りないのではないか。ヒトにとってマラリアは負担である。
寄生虫の世界は不思議なことがたくさんありますね。宿主との関係もやはり面白いです。進化論的には,「軍拡競争」や,それも含めての「赤の女王仮説」が思い出されます。もちろん,病気にはなくなって欲しいですけれど,一方で,世界はそんなに敵対的なのかしら,とも思ってしまいます。
草々
2017年2月19日